02/01/2022

2022.1.2 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
申命記32章39節
今こそ見よ、私、私こそそれである。
私のほかに神はいない。
私は殺し、また生かす。
私は傷つけ、また癒やす。
私の手から救い出せる者はない。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙14章8節
生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******


今日は2022年最初の日曜日です。それぞれの教会や集いでおこなわれる一切が、祝福のうちにありますように、お祈りいたします。
 
本日の旧約聖書の言葉は「私の他に神はいない」という、神御自身の宣言がテーマになっているのですが、少々ひっかかりを覚えるような表現であるとも言えるでしょう。殺すが生かし、傷つけるが癒す。神は人を殺すのか、傷つけるのか。そんな神を誰が神としたいと思うでしょうか。
 
これは、神によってエジプトを脱出して、神が約束された土地に向かって、荒野を40年間さまよった指導者モーセによって、その40年間を振り返った歌の一節です。実際に、この40年間のなかで、神の導きを無視して歩んだ多くの人々が、神によって罰を受けたということが聖書には描かれています。神が殺し、傷つけたというのは、きっとそのことなのでしょう。
 
しかし、モーセの歌を通して語られる神は、殺す、傷つけるだけにとどまることはありませんでした。人間を生かし、癒すのもまた神の御業なのだと。罰したものを罰したままにされてはおかれない、そこには必ず復活と再生を与えてくださる神が、人間とともにおられるのだと。
 
神の目的は、罰をくだし災いを与えることではありません。人間を癒し、生かし、祝福を与えるのが、神の目的です。「私の手から救い出せる者はない」という言葉は、神の手からもぎとって人間を救うことのできる者はだれ一人いない。私ヤハウェこそが唯一あなたの命を救うことができるのだと。この神の宣言をモーセは歌いました。
 
モーセは神が約束された土地へ、自ら行くことはできませんでした。にもかかわらず、モーセはこれまでの人生を振り返って、神が人の命を癒し、生かす方であることに確信を抱きました。人生、自分の思い通りにならなかったとしても、しかし、私たちを守られる神がおられる。一見すると矛盾するように思えるかもしれませんが、神は私たちをそのように見ていてくださる。必ずや私たちの行く人生の道を指し示してくださるのだと。
 
キリストを伝えたパウロは、私は生きても死んでも神のものとされていると告白しました。パウロの人生も決して順風満帆なものではなかった。でも、神のものと私はされているという告白は、パウロがそんな人生を歩みながらも、神が私を癒し、生かす御方であることを、人生の日々で実感したからこその告白だったのでしょう。
 
そんなモーセの、パウロの告白と同じ告白を、私たちもまたすることができます。どんなことがあっても、人生に幸いを与える神がともにおられることを胸にして、今日の一日を歩むことができますように。

0 件のコメント:

コメントを投稿