くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編117編1節
主を賛美せよ、すべての国よ。主をほめたたえよ、すべての民よ。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネの黙示録5章12節
(玉座の周りにいる)天使たちは大声でこう言った。「屠られた小羊は、力、霊、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を、受けるにふさわしい方です。」
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
受難週6日目の朝を迎えました。そして、今日は聖金曜日(受難日)です。昨晩から、このひと晩に起きた出来事を、聖書の言葉に聴きながら、イエスが味わった痛みと苦しみを、味わう機会をいただくことができました。弟子たちとの新しい契約、そして弟子たちの裏切り、そしてひと晩じゅう、宗教指導者たちによるののしりとあざけり、そして、夜が明けた今頃は、ローマの法廷に立たされて、人々の前に傷ついたイエスがさらけ出されました。そこでも、人々の叫びがイエスを突き刺します。そして、午前9時には十字架に磔(はりつけ)にされることになります。そこで6時間ものあいだ、イエスは苦痛に耐えながら、孤独のなかを過ごされることになります。人々が本来味わわなければならない苦しみを、一手に背負ってそれをご自分のものとされたイエスを、私たちはこの時に聖書の言葉を通して、あらためて感じとることができるのです。
そのなかで、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖書の言葉は、そのような苦しみこそ、あがめられ、賛美されるそのふさわしさでであることを想起させるようなものであったことを想わされます。人の死に対して賛美をささげることができるなど、なんと馬鹿げた話だろうと、私たちの社会常識では思うのかもしれません。と同時に、本来苦しむ必要のない立場にある人物が、人々の幸せのために、あえて苦しみの道を選び取り、そこに立ち向かっていく姿というものは、やはり、感動を覚えずにはいられないということも、また事実であることを想わされます。それが、この私の幸せのためになされていることであるならば、なお一層、そのように感じさせられる。これこそ、イエスの十字架の先にある栄光に対する感謝と賛美なのだと。
友のために命を捨てること、これほど大きな愛(アガペーという自己犠牲愛)はないと、イエスは弟子たちに語られました(ヨハネ15章)。他者の幸せのために働く愛のかたちを、私たちはそう簡単に実践することはできません。その前に怖気づいてしまうのです。逃げたくなるのです。しかし、神はイエスを通して、そこから逃げることなく、ご自分のコミットメントを誠実に果たされました。私たちを友と呼んでくださるイエスを心に刻みつつ、今日の一日を過ごしてまいりたいと思います。皆さんの一日にも、そのような神の誠実と真実が、ともに豊かにありますように。心からお祈りします。
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