くじによって選ばれた2月1日の旧約聖書のことば
レビ記19章33節
もしあなたがたの地で、寄留者があなたのもとにとどまっているなら、虐げてはならない。
旧約聖書に応じて選ばれた2月1日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書15章14節
(イエスの言葉)私の命じることを行うならば。あなたがたは私の友である。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
衆議院議員選挙が終わりました。自由民主党が単独3分の2の議席を獲得したニュースで、朝から持ちきりです。どんな理由や背景があれ、これが「国民の意思」なのだということを、強く感じさせられました。政権を担う与党、それに対峙する野党がそれぞれの使命というものに、真摯に向き合って欲しいと思います。それに、私自身としては、ひとりのクリスチャンとして、イエスがこの地に示されたその価値観を自分の生き方として大切にする者として、支持できるところは積極的に支持していきたいし、支持できないことは毅然とした態度を明らかにできるよう、世の中の動きに敏感な者でありたいと、改めて思わされた次第です。
そのようななかで、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句は、その思いを高めるものでした。そのことについて、黙想をつづりたいと思います。
今日の旧約聖書の言葉は、イエスの言葉でした。イエスの命じられる言葉に同意し、それを実践する者ならば、イエスの友としていただけることの幸いを、イエスは私たちに語られています。イエスの命じられる言葉とは何でしょうか。それは「神がつくられた人間の尊厳が大切にされること」以外になにもありません。私は「神がつくられた」というところに、強調点があると思います。造り主である神は、ご自分の思いや願いをつくられた万物、そして人間に込められました。
つまり、神の思い(つまり神のみ心)が明らかにされてこそ、尊厳や人権というものがゆがみなく働くということを、私たちがどれだけ真剣に受け入れることができるかということが、とても大切であると私は思っています。神が不在でも、人権や尊厳を語ることができるし、友という言葉を用いて、人間関係を構築することは可能です。しかし、これらの言葉をめぐって、どれだけの衝突があり、いさかいがあり、人間関係の崩れの元となるかということをも、私たちはよく知っています。神にある尊厳、神にある人権、そして、神があって初めて友という言葉の本質が大切にされて、本当の友としての関係がつくりあげられると私は信じたいのです。
今日の旧約聖書の言葉は、「寄留者を守る」という、神の命令の言葉でした。寄留者、つまり立場の弱い人たちを守るという、誰もが受け入れることのできる言葉でしょう。しかし、誤解を恐れず申し上げれば、この言葉がどれだけこの世界で大切にされているかと言えば、それは甚だあやしいものと言えるのではないでしょうか? 弱い者を守ると言いながら実際にはそれになり得ていない世の中があるのです。私は、ここに「神不在の世界」があると私は思えてならないのです。
私は思います。神を信じていないから神不在というわけではなく、神を信じていても神不在の世界はいくらでも存在します。だからこそ、神のみ心はどこにあるのかということに、真摯に向き合うということが、この聖書の言葉が与えられた者としての務めなのだと強く感じさせられます。だからこそ、今日もこの言葉を胸にして、その言葉の示す本質というものを大切にして、自分の生活を、日本の未来に向かって歩む一日を大切にしていきたいと願わされました。
神の言葉に聴き、それを自分の胸に手を当てながら、その言葉を大切にすることのできる一日でありますように。皆さんの一切に、神の平安と祝福をお祈りします。
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