24/01/2023

2023.1.24(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編91編9節
あなたは、わが逃れ場である主
いと高き方を住まいとした。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書14章1節
イエスは言われた。
心を騒がせてはならない。神を信じ、また私を信じなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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本日より黙想を再開いたします。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。この一週間、私は休暇のときを教会からいただき、ゆっくりと過ごすことができました。あっという間に過ぎた日々でしたが、体力・気力ともに充実してまいりました。ときに休養するのは、本当に大切なことだと改めて思わされた次第です。
 
今回、私の休暇中のメインとなったのは、1月19日から21日にかけて琵琶湖畔で開催された「年頭アシュラム」への出席でした。御言葉と黙想を大切にするこn集会で、聖書の言葉を黙想する機会にたっぷりと浸かることができました。毎日ローズンゲンによって与えられた聖書の言葉を黙想する機会が私にはあるわけですが、それでも、アシュラムのような場で、日曜から離れて、立ち止まって、自分の生活を振り返りながら、聖書の言葉が与える響きに耳と心を傾けることが、生きるに無くてはならないものであることを、改めて実感するひと時でした。
 
そんな思いを新たにしながら、本日の聖書の言葉を開きました。そして、その言葉の数々もさることながら、本日目に留まったのは、ドイツ語原版には記載されている「第3のテキスト」と呼ばれる、詩人による詩や信仰者による祈りの言葉にある一文でした。本日は、オトマール・シュルツさんという、ドイツで牧師を務められた方の祈りの言葉ですが、このような一文から始まっています。
 
不安と恐れが私のうちに募るとき、あなたは私に新たな勇気を与えてくださいます。
 
ここでいうあなたは、シュルツ牧師を「友」と呼んでくださる主イエスに他なりません。たとえ四面楚歌のなかで孤独に感じるような出来事が私を襲ったとしても、イエスは私とともにいてくださり、友として寄り添ってくださり、私に生きる力と勇気を与えてくださるのだ。シュルツ牧師の希望が、この祈りの言葉に込められているのだ。そんな思いにさせられました。
 
イエスは、今や自分たちから遠く離れてしまうのはないかと、不安におびえる弟子たちに言われました。心を騒がせてはならない。神を信じ、私を信じなさい、と。どんなに屈強さをアピールしても、それはやせ我慢に過ぎない。私たちは大なり小なり、見えぬことへの不安を抱えながら生きている。そんな存在であることを思わされます。
 
しかし、そんな不安に駆られ、信用できるものも疑ってかかってしまうくらいに、疑心暗鬼にあるときこそ、私たちに生きる勇気を与えてくださる方は、実は私の目の前にいてくださるのだと。イエスが、心を騒がせてはならないという言葉を弟子たちに投げかけられたとき、実は弟子たち当人も、自分が恐れに取り囲まれていることすら気づけないくらい、恐怖と不安のなかにあったのかもしれません。
 
そんなときに、イエスから発せられたひと言こそ、弟子たちひとりひとりに現実を自覚させたのかもしれません。恐れと不安にあるときにこそ、私がいるではないか。私があなたに新たな勇気を与えるのだから。そんな主イエスが目の前にいて。共に私と歩んでくださる。そのことを信じてくださいと、イエスが今日も私たちに語り掛けてくださるのです。
 
どうか、今日の一日もまた、そのようなイエスの御手にひかれながら、新しく、また希望に満ちあふれた一日を営むことができますように。お祈りいたします。

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