08/09/2022

2022.9.8 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
マラキ書3章1節より
私は使者を遣わす。
彼は私の前に道を整える。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マルコによる福音書1章12~13節
それからすぐに、霊はイエスを荒れ野に追いやった。イエスは四十日間荒れ野にいて、サタンの試みを受け、また、野獣と共におられた。そして、天使たちがイエスに仕えていた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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昨日、おとといと、私事の事情でばたばたしており、ローズンゲン黙想を掲載することができませんでした。楽しみにしてくださっている皆さまには、申し訳ない思いでいっぱいです。心からお詫び申し上げます。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
 
さて、今日私たちのために選ばれたふたつの聖句に共通するワードは「神からの使者」、いわゆる「天使」です。私が属するプロテスタント教会では、天使の存在は聖書から知ることがあっても、私たちの生活自体に、天使がどのような関わりをもっているかということを、あまり意識することがないかもしれません。
 
天使よりも、神からの使者のような役割をもって、私たちに臨んでくださるのは、むしろ「聖霊」なのではないでしょうか。聖霊なる神が直接的にメッセージを私たちに与え、私たちの生活に豊かに臨み、具体的な神の助けを、私たちは感じとることができるのだというのが、私たちの信仰の告白として広く受け入れられていると私は思います。
 
では、ここで考えたいと思いますが、天使の存在はどうなったのか、ということです。聖霊が天使に成り代わったのでしょうか。天使の存在はもはやなくなってしまったのでしょうか。
 
天使はあくまで、神からの使いとしての役割、神に仕え、神のメッセージを人間をはじめとする世界に知らせる役割を持ちます。聖霊と決定的に違うのは、キリスト教の世界では、聖霊が単なるメッセンジャーではなく、神であると信じ、受け止められているということです。天使は私たち人間と同様に神のよってつくられた存在、聖霊は三位一体の神の一面である神そのものである、ということです。
 
そのうえで、天使の存在というものが、神のメッセージを人間に伝えるために、神に仕える存在として神によってつくられ、存在していたというその目的に、私たちは注目することができるのだと私は思います。つまり、神のメッセージを伝えるということは、神に仕えるということなしには成立しない、ということです。
 
私は自分のこととして考えました。私も神の言葉である聖書に示された神からのメッセージを取り次ぐつとめが与えられています。その時に一番大切なこととは、神に仕えるという視点です。神に仕えるわけですから、神が私たちに発信しようとしていることの本質を、メッセージとして伝える責任というものがあるのだ。そう感じさせられます。
 
聖書の言葉を神の言葉と言いながら、結局のところ自分の言いたいこと、感じたいこと、そう思いたいことに引き寄せて、結局自分自身の言葉として伝えていないだろうか。聖書を文字通りにと言いながら、文脈を無視したり、本来神が聖書全体を通して私たちに語り掛けているテーマをそっちのけにして、文字面だけで聖書の言葉を自己主張のための看板として利用していないだろうか。私は、神が天使を創造されて、天使に与えたつとめというものを念頭に置きながら、そんなことを黙想させられました。
 
神が天使をつくられたことは、現在生きる私たちに大きな意味を与えます。天使のつとめに示された神の御心というものを、私たちの生き方の大切な柱とするところにこそ、神とともに生きる幸いというものが芽生え、生まれていくのだと。そのように受け止めました。
 
神が私たちに与えられたメッセージの本質を、私たちは今日も大切にすることができますように。大切にするところにこそ、神の平和が豊かにありますように。お祈りいたします。

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