28/08/2022

2022.8.28 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編96編3節
国々に、主の栄光を
すべての民にその奇しき業を語り伝えよ。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コロサイの信徒への手紙二4章3節より
私たちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださいますように。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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昨晩、一週間の旅路が終わり、無事に仙台へ戻ってまいりました。日々を振り返って、さまざまな出会いのなかで、キリストが私たちを平和のうちに結び合わせてくださることを、より実感することができました。移動に少々の疲れを感じましたが、昨晩ゆっくりと休んでおかげで、回復することができました。今日は主の日。礼拝から始まるこの一週間も、神から頂く御言葉と聖霊なる神の助けによって、はつらつと生きることができたらと願います。
 
神は「奇しき業」を私たちに与えてくださる。そのことを心から実感していた詩人は、その奇しき業が一人でも多くの人たちの心と思いに響くことを願ったからこそ、今日の旧約聖書の言葉にあるような詩を歌うことができたのでしょう。奇しき業という言葉は、私たち一人ひとりに驚きの心を与えます。驚くほどの嬉しさを、私たちに神は運び、届けてくださると言うのです。
 
神とともにある生活というのは、私たち自身ではどうすることもできない限界への認識と、その認識のうえに、神が私たちのためにどのように働いてくださるのだろうかという切なる期待なのではないか。この一週間、私は神によって選ばれた老人アブラハムの生き方というものに注目することができました。アブラハムもまた、自分自身の限界に対して神の奇しき業が働くがゆえに、物事が進んでいき、その人生を歩むことができました。
 
アブラハムは決して立派な人間ではありませんでした。アブラハムは神を信じた、それが彼の義と認められたと言われます。アブラハムの信仰というのは、アブラハムの立派な人格を後押しするものではありませんでした。むしろ逆で、アブラハムの決して褒められることのない人生に、神が奇しき業を働かせたことに対する同意と、その同意ゆえに、神と歩もうとするアブラハムに、神がご自分の正しさを与えてくださった。
 
この義によって、神がご自分の御言葉の門を開いてくださることを期待して、今日も歩むことができる。そのために祈り、御言葉に聴く礼拝が祝されることを祈りたいと思います。世界中でおこなわれる礼拝が祝されることを、そこに神の奇しき業が働けば、「すべての民に語り伝えよ」という詩編の言葉が、神によって実現するのだと。
 
どうか、今日世界中でおこなわれる主の礼拝の一切に、神の平安と祝福がともに、豊かにありますように。お祈りいたします。

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