25/07/2022

2022.7.25 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
サムエル記上30章6節より
ダビデはその神、主を信頼して揺るがなかった。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書17章5節
使徒たちは主へ言った:
私どもの信仰を増してください。

『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日の旧約・新約聖書の言葉を通して黙想したいと思ったのは、渡井自身にある「つまずき」についてです。つまずき。それは、実際に何かにつまずいて転ぶときのことではなく、神を信じて生きようとするときに、しばしば経験する、神に対する、また信仰者に対するつまずきについてです。
 
私自身振り返りますと、自分自身のうちにある苦しさゆえに、神に疑いの念を持ちたくなるようなつまずきを感じたことが、今まで幾度となくありました。教会や信仰者の交流のなかで、意見が一致しないときに、誤解が生じたときに、感情的なもつれが生じたときに、それがなかなか解決できないときに、数々のつまずきを経験したことも思い出します。また、私の言動ゆえに、多くの方々をつまずかせたこともあります。牧師という職を持つ者への期待に応えられないとき、期待外れな思いを感じた方にも、つまずきを感じさせたのだと振り返ることも多々あります。
 
こう考えてみますと、神を信じて生きるということで、それは同時にさまざまなことにつまずき、傷つき、痛み苦しみを覚える自分自身を発見させられます。神を信じて生きるということと、つまずく自分自身があるというのは、相反するものが互いに反発しているようにも思えるのです。
 
そういう私を、神はどのようにご覧になられているのだろうか。そんなことを黙想します。今日の旧約聖書の言葉は、戦争によって多くを失った人々によって、王としての責任を問われ、殺意すら向けられたダビデの心境について語られた言葉です。つまずきから生じる怒りが向けられても、なおも神のなさることを信頼し続けるダビデ。必ず神は私たちを助けてくださるに違いない。決してあきらめずに自分自身を神に整えてもらおうというダビデの心に、慰めと励ましをいただけるような思いにさせられますし、そうでありたいと願わされます。
 
つまずくことを良しとするのではなく、そこに開き直るのではなく、なおも自分自身の心に主なる神がともにおられ、置かれていることを知るとき、つまずきの連鎖から解放される自分自身を味わうことができるに違いない。それを自力で何とかするのではなく、神が、イエスが、ご自分の言葉をもって私を助けてくださるのだと。そんな願いを握りしめながら、新しい一週間の日々を歩んでいきたいと思わされました。
 
つまずきの連鎖が解かれ、神が与えてくださる平安によって、私たち一人ひとりが連帯する喜びを味わうことができますように。お祈りいたします。

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