27/05/2022

2022.5.27 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
サムエル記上17章37節より
行くがよい。主がお前と共におられるように。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ペトロの手紙一4章11節より
奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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私が仙台の地に赴いて、はや2か月が経とうとしています。私が新たに遣わされた日本基督教団仙台宮城野教会は、同じルーツを持つ2つの教会(仙台愛泉教会・宮城野愛泉教会)が2020年に合併し、新たな歩みを始めた教会です。
 
同じルーツと言っても、それぞれの教会のカラーが定着しているなかでの合併でしたから、2つの教会の良さというものが豊かに用いられながら、新しい時代へ向かっていくキリストの教会が作り上げられればと願いつつ、2か月の歩みを踏んでまいりました。
 
そんなことを心に描きつつ、そろそろ具体的なことを考えなければならないなと思って、あれこれ準備しているところなのですが、そんなときに、今日私に与えられた聖書の言葉は、その土台というか、基本中の基本について示されたものであったと実感させられました。
 
あれこれ魅力的なプログラムを立てて、打ち上げ花火を打つように華々しく教会の営みをおこなっていくことも、ある意味伝道とか宣教の一環かもしれません。しかし、基本がしっかりしていなければ、単なるイベント主義に終わってしまうし、はかない美しさに魅了されるだけで深まりがない。そう思わされるのです。
 
今日の聖書の言葉を通してつくづく思わされたのは、私たちの歩みは、主なる神がともなってくださり、歩むために必要なことを気づかせてもらいながら、神の御心によって歩むという大前提があることを知らされるものなのだと思います。
 
「こういう教会になってみたい」「そのためにこんなことをしてみたい」という願いが私たちのためにあるとすれば、その願いを神はどのようにご覧になられ、そのために神がどのようにそれを具体的に展開し、ときには修正や軌道修正をするように、私たちを促しておられるのか。そんな神の御声に丁寧に聴き取っていくときに、私たちはキリストのからだとしての神の教会の営みに参与できるのだと。その時に欠かせない基本的な感覚というものを大切にしたいと、今日の聖書の言葉を通してあらためて思わされた次第です。
 
神がともにおられ、神の助けによってこそ、今日も与えられたものをもって、それを用いつつ、神とともに生きることこそ豊かにさせられる経験。この経験を味わってまいりたいと願わされます。一人ひとりの今日の一日が、そのような豊かさに満ちあふれたものでありますように。心からお祈りいたします。

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