23/05/2022

2022.5.23 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編81編2節より
我らの力である神に喜び歌え。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二6章4,10節より
あらゆる場合に自分を神に仕える者として推薦しているのです。悲しんでいるようでいて、常に喜び、貧しいようでいて、多くの人を富ませ、何も持たないようでいて、すべてのものを所有しています。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
******
 
本日の新約聖書の言葉である「コリントの信徒への手紙」を書いたパウロは、一部の信徒たちから自分の資質を問われていました。使徒と名乗るにはふさわしい人物ではないという批判です。
 
手紙の内容からすると、パウロの行動は軽率だとか、手紙で書いていることと言動が一致していないとか、そのような批判の内容だったようです。
 
私自身のことですが、私も牧師という職をするなかにあって、今まで自分自身の資質を問われることが幾度となくありました。そして、牧師として生きることは、やはりふさわしくないのではないかと、思い悩んだことも数多くありました。それだけ、自分自身の至らなさというものを痛感していたからだと思いますし、今でもその至らなさをさらけ出しながら、日々を歩んでいることを実感しています。
 
そんななかで、パウロは自分自身のことをどのように批判者を含むコリント教会の人たちに伝えようとしたのか。今日の聖書の言葉に私はとても慰められました。「あらゆる場合に自分を神に仕える者として推薦しているのです」というパウロの自己推薦の言葉に、パウロの思いのすべてが込められている。そう思うのです。
 
この言葉は、パウロ自身が神に仕えるだけの力量や知識があるという意味で、自分は神に仕えるふさわしさをもって自己推薦をしているわけではありません。むしろ逆で、自分は神の力と助けなしには何もできないほど、少なくされ小さくされ弱くされている。しかし、神を自分自身の真ん中に立てて、神の御心に忠実でありたいという意味で、私はふさわしい者になりたい。自分自身を推薦しているのではないだろうか。
 
そう考えると、あとに続くパウロの言葉がすんなりと通るわけです。自分自身の資質のなさに、神の豊かな力が働くからこそ、私は悲しくても喜びに導かれるよう自分を促す機会が与えられているし、自分自身がたとえ貧しくても、神の助けによって使徒という務めをなんとか果たすことができているのだと。そういう者に私はなりたいという切なる願いが、自己推薦の言葉へとつながっていくのだと思うのです。
 
我らの力である神に喜び歌え。そのようにいにしえの詩人が歌ったように、私も今日の一日を喜び歌いたいと願わされました。ふさわしくない自分自身に嘆き悲しむからこそ、神は私たちをご自分の民としてのふさわしさを与えてくださるのだと信じつつ。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿