26/04/2022

2022.4.26 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編89編49節
誰が生きて、死を見ず
陰府の手から魂を救うことができるでしょうか。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙6章23節
罪の支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠の命なのです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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陰府(よみ)。
 
聖書以外で使うことはないのではないかというくらい特殊な用語が、今日の旧約聖書の言葉に登場します。この言葉を「死者の世界」を指す言葉として、日本語聖書には長く用いられています。
 
もともとは、墓を指す言葉として用いられていたヘブライ語のシェオールからきた言葉ですが、それは同時に、神の与える命の宿らない場所であり、神との関係が切り離された場所、それならば悪魔が支配する場であったり、そういった人間の苦しみの場という意味から、地獄の世界を表すなど、さまざまな意味をシェオールという言葉はイメージを与えています。
 
いろいろありますが、要するに「命を感じることのない場」こそ陰府の世界であることを私たちに思い起こさせます。もちろん、聖書で語られるすべては実際の死の世界を指しているわけですが、私たちは実際に生きているあいだも、まるで死を思い起こさせるような絶望感、奈落の底に突き落とされたようなショッキングな出来事、そこからなかなか脱出できない苦しみを経験することがあれば、それも広い意味での陰府と言って良いのかもしれません。
 
今日の旧約聖書の言葉は、エズラ人エタンという人物によって歌われた詩です。聖書にはほとんど登場することのない人物ですが、神殿において賛美リーダーのような役割を与えられた人物であることが、聖書の他の部分からわかります。つまり、神の命が宿る場である神殿で、エタンは今日の聖書の言葉にあるような、人間の現実を正直に歌い、そのうえで神がそのような死の世界に手を差し伸べ、私たちのうちに命があふれますようにと願っていることがわかります。
 
つまり、人間の力ではどうすることもできない死、それが実際の死であっても精神的な死を表す場合にあっても、死から命の世界へと私たちを導いてくださる神に、私たちは信頼し、委ね、期待することができるのだと、そんなエタンの思いが伝わってきます。
 
神のとの関係が断絶された状態。それは「罪」という言葉の意味であると、後の時代になって人々に知らせたのは使徒パウロでした。パウロは、この罪こそ死という神との断絶状態そのもののことであると、人々に伝えました。そのうえで、その間に立ってご自分の死をもって神と人との仲立ちとなられた、救い主イエスの存在について人々に伝え続けました。
 
イエス・キリストという神からのギフト(賜物)を、私たちはエタンの祈りが込められた賛美と掛け合わせながら、黙想させられます。神は、私たちを死の状態のままにされておかれない。救い主イエスの命こそ、私たちの今生きる日々にも、潤いと活力を与えるのだと。そのことを心から期待して、今日も歩んでいきたいと願わされました。あのエタンの賛美のように。
 
今日も、皆さんの一日が、神の与えてくださる命の豊かさにあふれるときとなりますように。お祈りいたします。

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