24/04/2022

2022.4.24 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ハバクク書3章18節より
私は主にあって喜び
わが救いの神に喜び躍る。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書10章20節より
あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日の旧・新約聖書の言葉を貫くのは「喜び」という言葉です。この部分だけに限らず、聖書には喜びという言葉が実に多く登場することに、皆さんもお気づきのことと思います。それだけ、聖書に記されている神は、私たちが喜んで日々を営むことを心から期待しておられると言って良いと私は考えています。
 
しかしどうでしょう。そう簡単に、いつも喜べるような生活を、私たちは営むことができているだろうかという疑問も、心の一方で抱えながら生きているのではないでしょうか。これが、私たちの生活の現実なのだと私は受け止めています。そのうえで、今日の聖書の言葉にも記されている「喜び」というものを、私はどのように受け止めて今日の一日を生きることができるか。このことを黙想したいと思いました。
 
あなたがたの名前が天に書き記されている。イエスが弟子たちに語られた言葉です。名前が天に書き記されている。つまり、神に私たち一人ひとりは見捨てられず、忘れられることもなく、その記憶と守りのなかにとどめられているのだという、イエスによる約束が語られています。忘れないでいてくださる神が、私たちとともにおられる。嬉しさも悲しみも、すべて神はご存知なうえで、私たちを慰め、励まし、立ち止まり寄り添いつつ、明日の一歩へ足を進ませてくださる方。それが神だというのです。
 
今日は喜びなんか見いだせなかった。しかし、それは今日のこと。明日はきっと喜ぶことができるさ。そういう神の声が聞こえてきそうな保証こそ、「あなたがたの名が天に記されている」ことの意味なのでしょう。
 
旧約の預言者は言いました。私は主にあって喜ぶと。主とは神のお名前であり、「私は神であり、私はあなたとともにいることで、あなたの神となる」という意味をもつ「私はいる(ある)」というお名前です。この神が、私たちに寄り添ってくださり、決して喜ぶことが難しい現実のなかでも、喜びを携えてともに歩んでくださる。だからこそ、預言者も最終的には希望との言葉として、神の預言者としての務めを果たすことができたのだと思いました。
 
今日から新しい一週間がはじまりました。この一週間が、そしてその初日である今日の主の日が、そんな喜びを神とともに味わうことのできるときとなりますように。お祈りいたします。

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