25/02/2022

2022.2.25 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編135編14節
主はご自分の民を裁き
僕らを憐れむ。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書5章6節
義に飢え渇く人々は、幸いである
その人たちは満たされる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
 
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昨日、ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始しました。プーチン大統領は、自国(ロシア)の安全を確保するためには、今回の軍事侵攻は選択の余地がなかった、と語っています。
 
世界中を走った、この衝撃的なニュースに、危機感を覚えられた方も多くいらっしゃるのではないかと思います。私も危機感を抱いたひとりであることに間違いありません。
 
そのようななかで、私は、大なり小なり「自分を守るための戦い」とは、一体なんなのだろうかと。自分を守るために、他の尊厳を傷つけてまで、自分の正義を貫こうとする態度は、本当に正義なのだろうかと、私は改めて思わされます。
 
そんなところに、今日の聖書の言葉は、非常に端的に、私たちに大切なことを教えている。そのように感じたのでした。「正義は誰のものか?」という問いに、聖書は明快に答えます。「正義とは神のものだ」ということをです。
 
神は、ご自分の正義を「裁き」、つまり、ご自分の御心をもって判断されることによって明らかにされます。裁きとは必ずしも断罪することではなく、神の正しい判断が私たちをご自分の憐れみに導くというのが、本日の旧約聖書が伝えようとしていることです。
 
その正義が私たちに及ぶとき、私たちは神の憐れみのなかに生かされるからこそ、のちにイエスは「幸いな者よ、神の正義が及ぶことを望み、そこに飢え渇きを覚えることは」と、民衆にお語りになられました。それが、本日の新約聖書の示すところです。
 
自分自身を守ること。それは誰でもします。しかし、自分自身を守るがゆえに、生み出されるもの・それゆえに残るものは一体何かを、立ち止まってじっくり考えたいと促されます。それが憐れみなのか、神の正しさゆえの充足感なのか。それとも私のプライドか、プライドを固守するがための、他者への攻撃なのか、無用な犠牲なのか。。。
 
世界の平和が脅かされるなかにあって、神から養われ、育てられる私の平和を大切にするところにこそ、神のこの世界に対する深い憐れみと正義があふれることを心から願います。そして、私自身がその担い手として、今日も立つことができるようにと、祈りを合わせました。
 
皆さんの一日も、そのような神の正義と平和がゆたかにありますことを、心よりお祈りいたします。

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