24/02/2022

2022.2.24 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書25章8節より
主はその民の恥をすべての地から消し去ってくださる。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書1章73~74節
これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。
こうして我らは
敵の手から救われ
恐れなく主に仕える
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
 
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私たちの主である神は、ご自分の民が受ける恥を、全世界から消し去ってくださいます。
 
今日の旧約聖書の言葉は、その約束を私たちに対してしてくださり、今日の新約聖書の言葉によると、それは、神が最初にご自分の民として選ばれた、イスラエルの父祖アブラハムのときから変わることなく続いていることが、祭司ザカリヤの賛歌をもって、明らかにされました。
 
今日の旧約聖書の言葉にもある「恥」とはなんでしょうか。もちろん、私自身が恥ずかしめを受けたときに感じる、心の状態のことを指すのですが、「なにゆえに恥を感じるか」ということは、もう少し丁寧に考えなければと思わされます。
 
日本人は恥の文化。アメリカの文化人類学者であるルース・ベネディクトの書いた『菊と刀』という著作があります。古典ですが、日本文化論としてよく知られた一冊です。ここでベネディクト氏は、日本人を「恥の文化」を持つ民族であると指摘します。
 
ただし、彼女の言う恥とは、今日の聖書の言葉で挙げられる恥とは意味が異なります。日本人がイメージする恥とは、自分自身の体面やプライドが他人から傷つけられるがために、心の中で生じる状態のことを指します。あくまで私自身が主体です。
 
一方で、聖書でいう恥とは、神の権威が悪しざまにされるがために、神の民として、自分の神が汚され、傷つけられることへの、自分自身のうちで起きる状態のことを指しています。日本人的恥の主体が私ならば、聖書でいう恥の主体は神であり、その神を想うがゆえに生じる、私たちが経験する恥であるという点で、一線を画します。

今日の聖書の言葉は、神を想うがゆえに、神を信じて生きるがゆえに生じるあらゆるしょうがいや困難を克服できるのは、私たちの底力が基となるのではなく、それをすべてぬぐい去ってくださる神がおられるから、という私たちに対する深い慰めに満ちた言葉なのだと。

自分が神の御心に立とうとするときに、さまざまな葛藤が私を襲うとき、理解してもらえないつらさを想うとき、必ずそれを解決し、私を先の一歩へ歩ませてくださる神がおられる。そんなことを心の希望にしながら、一日を過ごしていきたいと願わされ、神に祈ることができました。
 
どうぞ、皆さんの一日も、神とともに歩む幸いなときでありますように。心よりお祈りいたします。

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