詩編119編6節より
私があなたのどの戒めに目を留めても
恥じ入ることはありません。
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書4章31~34節イエスは言われた。「私の食べ物とは、私をお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
******
食べ物。それは私たちの生きる命を支える、無くてはならないものです。食べ物を美味しく、つかえることなく食べることができるのは、本当に幸せなことなのだと感じさせられます。
私事ですが、昨夕から激しい嘔吐に見舞われました。胃が何も受け付けず、ただひたすら吐くばかりの数時間を過ごしました。あらかた嘔吐したのち、ベッドで1時間ほど休んだら、とても楽になりました。
その後、買ってきてもらったスポーツドリンクを少しずつ含みますと、それで気分が悪くなることがありませんでしたので、続いて、温かいお吸い物をいただいたら、身体が温まり、体調がほぼ回復しました。朝の目覚めを問題なく経験することができました。
今朝起きて、ローズンゲンに示された御言葉をいただいた際、イエスの食べ物、つまり、イエスにとって生きるに欠かせないものとは、「私をお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げること」と、イエスは言われました。
神の御心を自分の生き方とすること。そのために、神の言葉をイエスは何にも勝るパンと位置付けられました。そして、パンを実際に食し、生きるための源としました。その源から発するイエスの宣教によって、それは私たちをも生かす源になったのだと。
こういう「私の食べ物」を、イエスは私たちに与えてくださっていることを想いますと、私たちがどのような食事を、生きるためにしているのだろうかと、改めて振りかえさせられます。健全な心身を養うための食事。この食事を自覚できるような生き方とは何かを。。。
今日の旧約聖書の言葉は、私たちに伝えます。「神が与えてくださるどの戒めに目をとめるならば、私は自分自身を恥じ入る生き方から離れることができる」と。戒めは人を苦しめるためにあるのではなく、私たちがより良い生き方をするためにあるものなのだと。
今日も神の言葉が、私の命を良い意味で戒め、私の命に喜びの源として与えられる。そのことに、私自身心を寄せながら、イエスが与えてくださる「私の食事」のご相伴に与りたいと願い、祈りをささげることができました。
皆さんの一日もまた、そのような喜びあふれるときとなりますように。心よりお祈りいたします。
0 件のコメント:
コメントを投稿