22/02/2022

2022.2.22 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
士師記5章3節
聞け、王たちよ。
耳を傾けよ、君主たちよ。
私は主に向かって歌う。
私はイスラエルの神、主をほめ歌う。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
フィリピの信徒への手紙4章5節
あなたがたの寛容な心をすべての人に知らせなさい。主は近いのです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
 
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今日の旧約聖書の言葉は、「デボラの歌」と呼ばれる一連の詩歌の一節です。イスラエルの諸部族が政治的に不安定だった時代、他民族・諸国からの攻撃に立ち向かったリーダー(士師)が立てられました。デボラは、その士師のひとりでした。
 
デボラは諸国の王、君主に向かって歌いました。私は自分の主である神をほめ歌うと。紛争解決・平和への道をつくり上げてくださるのは、私たちとともにいてくださる神なのだと、高らかに歌い上げました。実際にこの後、約40年間にわたる、イスラエルの平和な時代がやってきたのでした。
 
神は好戦的な方では決してない。むしろ平和のために何が必要なのかを、寛容な態度で私たちに示され、私たちもまた、この態度をもって世の中で生きることこそ、本当の意味での平和があるのだと。本日の新約聖書でうたわれている「寛容」というものは、まさに、神をほめ歌う、つまり、神の思いを心から聴き取ったところにこそ、あらわれる実なのだと、私は感じさせられました。
 
寛容は、聖霊なる神がもたらす実(ガラテヤの信徒への手紙5章22節)であるという聖書の言葉は、まさに寛容という態度は、神の導きと直結していることを明らかにしています。
 
私は、今日の聖書の言葉を黙想しているなかで、自分は本当にこの寛容の態度を、神の助けによって自分のものとしているだろうかと、じっくり黙想させられました。人生、いろいろな葛藤や闘いがあることは事実ですが、しかし、寛容を忘れてまで闘おうとする態度は、結局のところ、神が私に期待しておられることから、ずれてしまっているのだと。
 
そんなことを黙想しながら、神の御心に基づいた寛容に生きる一日でありたい。そう願いつつ、神に祈ることができ、とても感謝な思いにあふれました。それこそ平和の源なのだと。
 
皆さんの一日に、神が与えてくださる寛容があふれますように。お祈りいたします。

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