05/01/2022

2022.1.5 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
出エジプト記33章19節より
主は言われた。「私は恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二8章9節
あなたがたは私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでいたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためでした。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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本日の聖書の言葉をいただいて、一番心に響いたのは「主の貧しさによって、あなたがたが豊かになった」という一文です。本当は豊かだったのに、私たちを豊かにするために貧しくなられた神という言葉に、深い感動を覚えました。
 
アメリカの作家、シェル・シルヴァスタインの名作『おおきな木』を思い出しました。どんなお話かをご存知の方は、なるほど!と思ってくださるのではないでしょうか?
 
りんごの木と少年、やがて大人になり、ついには老人となるひとりの男とのふれあいの物語。りんごの木はこの男のために実を、枝を、幹を、そして切り株さえも与え、それでもりんごの木は幸せだったと、この物語は締めくくられます。
 
なんとも切ないお話です。男は貧しくなるたびに豊かにされるけれど、その豊かさすら失ってしまいます。一方で、りんごの木はどんどん貧しくされていくけれど、しかし、貧しさに反比例して幸せだったと語ります。
 
果たして、私たちは誰かから「利用される」ような生き方で、幸せになれるのだろうか。そんなことを考えてしまいます。私たちは利用されれば、それ相当の見返りが欲しくなるのではないでしょうか。そして見返りがなければ「利用された」と不幸をつぶやきます。
 
しかし、今日の聖書の言葉は、あくまで神の自主的な意志によって、私たちを豊かにするために、神自らが貧しくされる道を選んだということを、私たちに伝えます。神は貧しくされた。しかし、私たちの救いを望み見て、私たちが幸せになることが、神の幸せそのものなのだと。
 
イエスの生涯を見つめたいと思います。栄光が輝くと告げられた救い主の姿は、見た目には貧しく、みじめで、苦痛に満ち、孤独なさまで、死んでいきました。しかし、その死は、多くの実を結ぶ一粒の麦の種であった。豊かさの源でした。主の貧しさによって、私たちは豊かにさせられたことを示す、最大にして最高の出来事がここにありました。
 
私たちにとって豊かさとは、そして、貧しさとは何なのだろうか。神のなされたことを黙想しながら、今日の一日を歩むことができますように。

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