くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エレミヤ書14章9節より
主よ、あなたは私たちの中におられます。
私たちは御名によって呼ばれています。
主よ、あなたは私たちの中におられます。
私たちは御名によって呼ばれています。
私たちを見捨てないでください。
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙1章18節神があなたがたの心の目を、照らしてくださいますように。
神の招きによる希望がどのようなものか、悟らせてくださいますように。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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私たちは自分の心を誰にも知られることはありません。ですから、心の中がどのような状態であったとしても、それを隠しておくことは十分に可能ですし、心にやましいことがあれば、絶対に見られたくないという感情が働くのは、決して珍しいことではありません。
そんなことを踏まえて、本日の聖書の言葉に聴きますと、「私の中にいる神」であるとか、「心の目を照らしてくださいますように」という言葉が、人間の側から神に向かって語られていることに、私は驚き、また感動してしまうのです。
神は、私たちが100%の清さであるとか正しさを兼ね備えた心の持ち主でないことなど、すべて御存知です。神が私たちの中にいるというのは、汚い部屋に大切な客人をお招きするようなものかもしれません。
しかし、それでも神は私たちの心の中にともにいてくださる方です。なぜならば、本日の旧約聖書の言葉にもありますように、私たちは神のお名前によって、神に呼ばれているからです。神のお名前とは「私はいる」という意味です。私たちを呼んでくださる神は、私たちとともにいてくださる方であることを、ご自分の名前で約束し、保証してくださいます。
だから、神は私たちを見捨てることはありません。しかし、本日の旧約聖書で、エレミヤという預言者は「私たちを見捨てないでください」と訴えています。
この訴えこそが大切なひと言です。神は私たちを見捨てることはありません。しかし、その保証の上にあぐらをかいて、優越意識を抱いて傲慢になるならば、自分自身の心というものがどのような状態にあるのかを、私たちはいつしか気づけなくなってしまうでしょう。
だからこそ、私の濁った心であったとしても、その心の中にともにいてくださる神がいることに感激し、そのことをこいねがうとき、神の御心に自分自身を整えて生きるように導かれていく。これこそが、本日の新約聖書の言葉に記された「心の目が照らされる」体験なのでしょう。
心の目が照らされるならば、そこには神が与えてくださる生きる希望が芽生えます。この希望によって、どうか私たちが今日も、素敵な一日を歩むことができますように。
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