27/01/2022

2022.1.27 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編103編17~18節より
主の慈しみは
いにしえからとこしえまで主を畏れる者の上にあり
その義は子らの子に
その契約を守る者に及ぶ。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヘブライ人への手紙13章8節
イエス・キリストは、昨日も今日も、また永遠に変わることのない方です。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
 
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今日の旧新約聖書を貫くのは、永遠・とこしえという言葉です。私たちの神、そしてイエス・キリストは永遠に神であられ、私たちの神となってくださり、永遠に私たちの神でいてくださる。これは、決して変わることのない、聖書が語る神の私たちに対するメッセージです。
 
私たちは、究極的には有限の世界しか知りませんし、経験したことがありません。その最たるものが死であることを、私たちはよく知っています。一度きりの人生だからという言葉を、私たちはよく使い、そのような価値観のもとで人生設計をします。これは何ら間違っていない、私たちの現実です。
 
では、そのようななかで、私たちはどのように神の永遠という言葉を、自分たちのなかで真実のものとしてとらえることができるのでしょうか。そのあたりをぜひ黙想したいのです。
 
最初に、永遠という言葉は「今から未来」のことではなく、「過去から今、そして未来」のことであると、今日の聖書の言葉は私たちに伝えています。この時間的な観念は、とても重要なのではないかと私は考えています。
 
私は、今という言葉を、自分自身というようにとらえています。つまり、今、自分の生きている時代が今なのです。一番イメージしやすく、かつ現実的な世界。それが今であるということです。
 
しかし、今私たちが生きている時代は、過去から継承された世界、たまたまそのバトンを受け取っている時代にすぎません。まさに過去が現在をつくりあげていると言っても良いでしょう。そのときに、その過去にも神がともにおられ、私たちの神でいてくださったという事実があった、ということなのです。
 
私はこう思います。過去をどれだけ私たちが大切にすることで、現在という世界を誠実に見ることができるのではないかと。この場合、過去を大切にするというのは、意味のない伝統固守や単なる懐古主義、トラウマをひきずることを言っているのではありません。
 
良い時も悪い時も、私たちが失敗の連続をしでかしたとしても、それでも神は私たちを愛し、ときには戒めることも含めて、私たちを祝福し続けてくださった、その歴史を私たちが建設的な批判の上に立って受け入れることこそ、いにしえからという言葉が、私たちのうちに生きるのではないかと思うのです。
 
建設的批判は、決してネガティブなものではありません。建設的なのですから、それはつねに未来志向な思いへと私たちを導く原動力となります。健全に過去を見つめる生き方は、神の永遠に相通じます。そして、未来に向かっても、神は私たちをご自分の御心で導いてくださる、自分が死んだとしても、神が私たちの神でいてくださるという約束は、とこしえに続くというのです。
 
この永遠に、私は今日も生かされて今日という一日を大切に過ごしたい。これが私の黙想でした。今日はどのような歩みが私たちの先にあるのでしょうか。そのことに希望を抱きつつ、神とともに歩むことができますように。

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