詩編19編13節
誰が知らずに犯した過ちに気付くでしょうか。
誰が知らずに犯した過ちに気付くでしょうか。
隠れた罪から私を解き放ってください。
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙一4章5節より主は、闇に隠れた事を明るみに出し、人の心の謀をも明らかにされます。その時には、神からそれぞれ誉れを受けるでしょう。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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心のなかに隠されたもの。それは、なかなか自分自身では気付くことができませんし、しっかりと自分のうちに閉じ込めようとします。
私たちは誰でも「誰にも知られたくない秘密」と「自分でも気づいていない闇の部分」というものを持っている存在であると、ある心理学者は言いました。そして、この心理学者は、自分自身が何者であるかに向き合って、認識することによって、秘密の部分と闇の部分が狭められて、円滑な人間関係を構築できることを提唱しています。
さて、今日の聖書には「知らずに犯した過ち」「隠れた罪」「闇に隠れたこと」「人の謀(はかりごと)」という言葉が登場します。これらの言葉は、私たちの自己認識と大いに関係するものであると言ってよいでしょう。
つまり、私たちが自己を見つめることなしに、自分の罪を認識することはできません。また、自分だけではその作業をすることはできません。他者の助けを必要とします。他者からの健全な助言によって、私が何者であるかを発見することができるのです。
そう考えますと、本日の聖書の言葉は、歌い手ダビデにしても、コリント教会へ手紙を書き送ったパウロにしても、絶対的他者としての神が、私たちが意識的に隠している部分、無意識に隠された部分を明らかにし、そこに正直に向き合うところにこそ、祝福が与えられるのだということを、自分自身の経験として歌い、語っています。
自分自身が何者であるかという作業は、私たちを謙遜にさせます。謙遜な心には、神の祝福があふれんばかりに注がれます。なぜならば、神は私たちが何者であるかを気付かせるために、ご自分の言葉を通して、いつも働きかけてくださるほどに、私たちを愛してくださるからです。
私たちが意識的、無意識のうちに自己を絶対化し、誤った正義を振りかざすことのないように、今日も神の働きかけに応答することができますように。祝福をお祈りいたします。
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