12/07/2025

2025.7.12(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書49章8節
主はこう言われる。
私は恵みの時にあなたに応え
救いの日にあなたを助けた。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二6章2節
今こそ、恵みの時、今こそ、救いの日です。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さんおはようございます。
仙台の街は今日も涼しい朝を迎えました。今朝起きた際、久しぶりにすっきりとした目覚めを感じることができました。身体の疲れも睡眠でしっかり取れたのがとても嬉しく、明日のための準備が心地よく行えそうな気持ちで、今パソコンに向かい始めたところです。一週間も最終日を迎えました。どうか皆さんの一日も良き振り返りと備えのときとなりますように。心からお祈りします。
 
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句はともに関連性のあるものであり、新約聖書・コリントの信徒への手紙二6章2節の前半部分には、今日の旧約聖書の言葉であるイザヤ書49章8節が引用されたうえで、パウロは自分自身の思いを後半部分でつづりました。それが今日のローズンゲンの新約聖書部分となっています。
 
このとき、パウロは自分が伝道者として働いているという事実の根拠について説明しています。コリント教会のなかには、そもそもパウロに伝道者としての資格に疑問を抱く人たちの存在がありました。パウロが伝道者としてふさわしくない。そのような批判でした。
 
私も経験のあることですが、私もかつて牧師としての資質を問われ、牧師を名乗る資格はあるのかということを言われたことが幾たびかありました。もちろん、私はそのようなことを問われると、その通りですとしか言いようのない自分自身があったことを思い出しますし、今ですら、伝道者としての資質にふさわしくない自分自身を発見することがしばしばあります。
 
私は人間が立派だから、このような仕事についているわけでは決してありません。私よりももっと素晴らしい資質を兼ね備えた方々が大勢いることを私はよく知っています。もちろん、より良い資質というものを身に付けたいという願いやあこがれはあります。しかし、それよりも大切にしたいのは、そのような資質というものはどこから来るものなのかということです。
 
自分自身のふさわしくなさというものがあるにもかかわらず、その自分を牧師として、伝道者として立ててくださったのは、ただ「神の恵み」によるものなのだと。神がその深い恩寵のなかで、神の力と助けによって今の務めをいただいているのだという自覚と認識こそ、私自身の傲慢を鎮め、自助努力だけでこの仕事はとうてい務まるものではないのだということを、いつも心に刻みながら、神から与えられた時を大切にし続けたいと思うのです。
 
もちろん、そう願いながらもたくさんの失敗を繰り返すことも、逃れきれない事実として残っています。だからこそ、神の恵みによる助けによって、神とともに働く者としてその務めを全うしたいと願わされます。それは牧師でなかったとしても、ひとりのクリスチャンとして歩むときに、是非大切にしたいものであることを思わされるし、それを大切に守り続けたいと思わされたのでした。
 
明日の主の日の備えの時が、そのような思いを確認し、温める一日でありますように。皆さんの一日にもそのような神の恵みがともに、豊かにありますように。心からお祈りします。

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