11/07/2025

2025.7.11(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編119編52節
主よ、あなたのいにしえよりの裁きを思い起こし
私は慰められました。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二5章1節
私たちの地上の住まいである幕屋は壊れても、神から与えられる建物があることを、私たちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住まいです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さんおはようございます。
昨日に続いて、涼しい朝を迎えた仙台です。暑さが続いて疲れを覚えらているすべての方々に、神の守りを心からお祈りします。どうぞ引き続き健康が守られますように。そして、今日も神が与えてくださった言葉が、私たちのすべてにとって霊的な健康の源となりますようにとお祈りします。
 
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは「私たちに対して神は公正に取り扱われる」というものでした。そのことをつづりたいと思います。
 
今日の旧約聖書の言葉は詩編の一節でした。そこには「神の裁き」という言葉が登場します。私たちは裁きと聞けば、どのような印象を持つでしょうか。一般的に裁きとは断罪をイメージすることが多いのではないでしょうか。もちろん、断罪は裁きのひとつの方向性であることに間違いありません。しかし、裁きは断罪だけを意味するのではありません。公正な判断によってすべての出来事が取り扱われることを意味します。
 
ですから神の裁きとは、神がご自分の公正さをもって世の中を取り扱われるということを意味するのです。たとえ目に見えないことが暗躍し、そのことで理不尽さを感じることがあったとしても、そのことで苦痛を味わうことがあったとしても、神はそのことをすべてご存知であり、そのことに基づいて私たち人間を公正に取り扱われるということなのです。
 
今日の詩編の言葉を歌ったダビデ王は、神の裁きゆえに慰められたという言葉を賛美しています。日々の生活のなかで経験するやるせなさ、どんなに誠意を尽くしてもわかってもらえない辛さ、自己保身ゆえにその犠牲となった人々が味わう悔しさ、それらを私たちの神はすべてご存知なうえで、私たちの誠意に応えてくださるというのです。
 
では、私たちの誠意とは何でしょうか。すべてをご存知である神の御前に誠実であるがゆえに神の思い願いを携えて生きようと心から願った時に、私たちは神の誠意を自分自身の生き方とすることができるのです。ですから、たとえこの世の中でつらい目に遭ったとしても、神の誠意が私たちを慰め、励まし、今日一日を神とともに、隣人とともに生きる力というものを与え、私たちを活かしてくださるということなのです。それゆえに、ダビデ王は大きな慰めを得たのでした。
 
今日の新約聖書の言葉は、そのことを「住まい」という言葉を用いて比喩的にパウロが語ったものです。人間の思いは壊れやすく、ちょっとしたことで裏切りがあり、自分を守るためならば他をも犠牲とすることをいとわない態度が、ある意味で虚構をつくりあげることだってあるのです。しかし、神の公正に基づいた誠意によって建てられた神の国は、そのような虚構とは一線を画すものなのです。この永遠の住まいに、私たちひとりひとりが招かれているということこそ、神の裁きの結果なのです。繰り返して言いますが、この場合の裁きは断罪の結果ではなく、神が私たちを大切に取り扱ってくださるがゆえの結果であるものなのだということを、私たちは是非受け止めたい。私はそのように感じたのです。
 
今苦痛の渦中にいるならば、そのことを神は必ずや慰め、励まし、何が公正なのかを教え諭し、ときに思い誤りを矯正し、整えて、私たち一人ひとりを神とともにある喜びへと導いてくださいます。そのことを私たち一人ひとりが自分自身の希望とすることができますように。今日一日の神にある守りと平安が、私たちすべての心に届きますように。お祈りします。

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