くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
サムエル記上7章8節
イスラエルの人々はサムエルに言った。「どうか黙っておられずに、ペリシテ人の手から救ってくださるよう、我々の神、主に叫んでください。」
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
フィリピの信徒への手紙1章19節
あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の支えとによって、このことが私の救いとなることを知っているからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。救い主イエスの復活後5日目の朝を迎えました。今日も神が与えてくださった言葉によって、私たちの心が整えられることを期待しながら、聞いてまいりたいと思います。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するテーマは「とりなしの祈り」であると私は受け止めました。代祷とも言われる通り、誰かのために、誰かの幸せを願って祈るのがとりなしの祈りです。私たちは自分のためにだけでなく、誰かのために祈るということによって、神がその祈りをきいてくださったということを、これまで経験されたことがあるのではないかと思います。
そもそもとりなしの祈りとは、民たちの祭司や王が行うべき仕事であったことが今日の旧約聖書の言葉からわかります。イスラエルの民が指導者サムエルに対して敵から自分たちが守られるようにと祈ってくださいと懇願されているのが、今日の聖書箇所です。政治的指導者が神から委ねられている民たちのために祈ることもまた、神から委ねられた務めなのだと私は思わされました。
私自身、この街に住む牧師として、街とそこに住む方々の安寧のために祈ることを怠っていないだろうか。そんなことを確認させられます。教会のために、また教会の人々のために祈ることはもちろん大切な営みであることに間違いありませんが、この土地に教会が建てられているということは、この地域のために神に祈り続けるということもまた、決して欠かしてはいけないことなのだとあらためて確認することができました。
イスラエルの民たちの懇願に、サムエルは神に祈ったことを神は全面的に受け入れてくださいました。神が敵からご自分の民たちを守り、民たちには平和が訪れました。しかし、それは別にサムエルの功績でも何でもありませんでしたが、サムエルが神から預かっている宝を大切に守り続けるためには、神の助けがどうしても必要であると判断した結果のことだったのです。私たちも神に祈る時に、義務感で祈るのではなく、神が私たちのためになしてくださっていることはいったい何なのだろうかとイメージするなかで、そのような祈りに導かれたいと思うのです。
誰かのために祈ることは、それすなわち神がなさることへの深い信頼ゆえに起こされるものである。そんなことを胸にしつつ、新しい一日の営みへと出ていくことができますように。皆さんのためにとりなしお祈りします。
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