くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
ダニエル書2章22節
神は奥義と秘義を啓示される。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書17章25節
正しい父よ、世はあなたを知りませんが、私はあなたを知っており、この人々はあなたが私をお遣わしになったことを知っています。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
毎日暑い日が続きますね。昨日は所用で東京へ出かけましたが、夕方に仙台へ戻っても、その暑さは変わることがありませんでした。いよいよ夏、と思いたいですが、まだ梅雨空があるとのことですので、じめじめした季節をもう少し過ごさなければなりません。いずれにせよ、健康が私たちのあいだで守られることを心から祈りつつ、今日のローズンゲンに示された聖句ヲ通して黙想したいと思います。
神はご自分の深い御心をお持ちであり、それをこの世の中の常識ではなかなか受け入れられない形であっても、そのことを明らかにしてご自分の計画を果たされるのだ。今日の旧約聖書・新約聖書に示された両方の聖句が共通して私たちに伝えていることをあらためて知らされました。神は決して、その場の雰囲気や感情的なところに揺り動かされることなく、大局をもって私たちにご自分の思いを示しておられるのだということです。
今日の旧約聖書の言葉であるダニエル書では「奥義」と「秘儀」という言葉を使い分けています。どちらも似たような意味を持つ日本語ですが、微妙にニュアンスの違いというものを感じます。奥義という言葉は、「深妙」「深淵」という言葉でも翻訳されています。原語であるヘブライ語でも「深み」という意味で知られている言葉が用いられています。また「秘儀」とは文字通り、秘められたこと、隠されたことという意味を持っています。
私はここにふたつの意味が存在していると理解しました。第一に「神のお考えは深みをもっている」ということです。決して表層的なものではなく、味わい深さがあるということです。私たちは日々の生活のなかで、表面的なことだけに眼を向けていないだろうかという黙想が与えられました。物事を語る時には、私たち人間は断片的なこと、人が語った断定的な言葉に引きずられていないだろうかということを思わされるのです。それが独り歩きしてしまうばかり、本質を見失うことが私たちにあるとすれば、神が抱かれる深みに自分自身を投じこむことができなくなるし、神とともに生きるという味わい深さをどこかで忘れ去ってしまうのではないかと感じたのです。
また、神の思いは神の味わい深さを理解した時にこそ、その深みゆえに隠されたように見えるさまざまな出来事の真意というものをくみ取ることができるのだということです。神はその秘められたこと、隠されたことを必ず私たちが理解できるようなかたちで明らかにしてくださるというのです。イエスは十字架に架けられる前に神へ祈りをささげました。今、神の秘儀がイエスを通して明らかにされるときに、人々はその秘儀の味わい深さを理解できず、十字架にかけられた犯罪人としてでしかイエスを見ることができない。しかし、そこには多くの命のためにささげられた犠牲であるという大義があったのだということを、のちにイエスの弟子たちは知るに至りました。
大切なことは、世の中で、身の回りで起きていることに振り回されるより、神が私たちに与えようとしていることに、自分自身がいかに心を寄せて生きることができるだろうかということなのだと私は受け止めたいと思いました。そうすれば、神は必ずこの世界にある矛盾や不条理さに、理解の光を投じさせてくださるということを、私自身の生きる希望にしたいと思わされたのでした。
今日一日の生活に、神のそのような光が投じられることで、少しでも健やかな一日を過ごすことができますように。皆さんのために、そして私自身のために祈りをささげたいと思います。
日々の黙想、御言葉について深く掘り下げられるメッセージを、感謝をもって読ませていただいています。
返信削除見えないもの、隠されたものがあるということを改めて心に刻みたい、そう感じました。目に見える事象ばかりではない、人間には分からないことがある。謙虚にならねばと思います。