くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編136編23節
私たちが低くされていたとき
(主は)私たちを思い出し(てくださった)
(主の)慈しみはとこしえに(あるからだ)
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙6章19~20節
私が口を開くときに言葉が与えられ、堂々と福音の秘義を知らせることができるように、私のために祈ってください。私はこの福音のための使者として鎖につながれてい(るからです)。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
昨日の疲れを眠りで癒すことができました。少し遅めですが一日の開始です。すでに勤めに就かれている皆さん、それぞれの予定を過ごしている皆さんの予定が、神様の祝福のうちにありますように。心からお祈りします。
今日のローズンゲンの言葉を通して、私にとって今必要としている御言葉であったことを実感できました。何も神は私が今必要としていることに合わせてローズンゲンの言葉を与えているわけではありません。この言葉は2年前の5月にくじびきで決められたものですから。別にローズンゲンに予言能力があるわけでもありません。しかし、今日ここに立つ、そして生きる私へ確実に、この御言葉は生きる力を与えてくださっている、そう思わずにはいられなかったのです。
私は今、2年あまり続いているある出来事で、苦痛の足かせをはめながらその日々を過ごしています。状況が好転することがなかなか見えないなかで、普段は冷静に平静さを保ちながら生きようと思っても、ちょっとしたことで落胆してみたり、出口の見い出せない状態に恨み節が心のなかを駆け巡ってみたりと、気持ちがぐちゃぐちゃになることもしばしばあります。精神的にも、経済的にも大きなストレスがのしかかっている。まさに鎖につながれているような気分になるのです。
ここ数週間ほど、そのことでいろいろ動かなければなりませんでした。今日もそのことの関係で東京へ出かけなければなりません。そのたびに神へ問い続けます。神様、このことを通してあなたは私に何を教えようとしているのですかと。いつまでこの苦痛が続くのだろうかという不安のなかにあっても、私はそうやって神が何かを指し示してくださることをただ願い、祈り続けていくしかないのです。それが最高の道であることを経験上知っていますし、そのことで具体的に自分自身がしなければならないことが何であるかも整理されていくからです。
神が私に求められていることは下手な自己保身ではなく、偽り、他者が貶められても自分自身が何かを勝ち取ることでもなく、イエス・キリストがこの世界を救われるという福音の事実が真実として光り輝くべく、自分自身に与えられた使命をもって神の助けによって生きていくことなのだと。神のいつくしみは永遠なのだから、そこに希望を託して今日も生きて行こうと思ったのでした。今日の黙想でした。
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