くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編89編27節
あなたはわが父
わが神、わが救いの岩
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書6章11節
私たちに日ごとの糧を今日お与えください。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。今週もなかばを迎えました。そして、聖霊降臨の出来事を祝うペンテコステまであと4日となりました。私たちの弁護者となってくださるために、父なる神と子なるキリストが私たちのもとへ送ってくださった聖霊の恵みを噛みしめながら、今日のローズンゲンに示された御言葉に聴きたいと思います。
今日のふたつの聖句を通して私が受け止めたいと思ったのは「日々生きる私たちのいのちを守るものとはいったいなんだろうか」という問いについてです。今日の新約聖書の言葉は、主イエスによって教えられた「主の祈り」の一節です。日ごとの糧を今日お与えくださいという私たちの願いです。
今、米の高騰問題や食料品などの物価上昇の問題などがありますが、この日本においては、基本的に「食べることに困らない」環境のなかで生きているというのは、誰もが認めることであると思います。たとえ食べることに事欠く状況が個々人の事情にあったとしても、フードバンクやこども食堂などのヘルプが多くあることを思うと、食べるといういのちをつなぐための取り組みと働きが、そのような事情に対する助けとしてなされていることを私たちはさまざまな場面で知るに至らされているのです。
そのなかで、日ごとの糧を与えてくださいという私たちの祈りは、どのように私たちの祈りとして神に向けられるのでしょうか。単なるお題目的なフレーズでこの祈りの言葉を述べているのであれば、私たちはそのことを神に向けて祈る意味というものが失われてしまうのではないか。そんなことをも思わされるのです。もちろん、祈っているうちに時にいろいろなことに気付かされるのもまた事実なのではあるのですが。。。
神に与えられたその日いちにちを生きるために、私たちは何を必要としているのでしょうか。もちろん物理的なものもあるでしょう。しかし、それと同等に、精神的な糧というのも決して見逃すことはできないのです。時によっては、そちらの方が私たちが今生きるいのちを保たせるために、無くてはならないものとして大切にしなければならないことだってあるのだと私は思うのです。
私たちにとって精神的な支えとなってくださるのは、神が私たちのいのちを慈しんでくださるという、聖書全体を通して一貫して語られている神の私たちに対する思いです。それが私たち一人ひとりに、ご自分の言葉と聖霊の力や助けによって私たちの心に浸みこんでいくときに、間違いなく私たちにとって生きるための「糧」となるのだということを、私たちは実感していきたい。その実感を味わうべく神が動いてくださるのだということを、私たちは心の栄養として積極的に心身に摂取していくならば、そこには守られているという安心感と幸いに包まれていくということは、多かれ少なかれ神とともに歩む人たちが経験しているでしょう。
今日の旧約聖書の言葉に「私の救いの岩」と父なる神をほめたたえる歌の一節が収められています。岩という言葉には我が身を危険から守ってくれる避難所のような意味も含まれています。私のいのちをその大きな岩で守られるときの安心感は、神が私たちに糧をくださることで得る安心感に相通じるものがあるのだと私は受け止めました。
いろいろな苦難も私たちには訪れますが、そんな時にこそ、私たちのいのちを確実に守られる方がおられるということを胸に抱いて、今日という一日を生きていくことができますように。皆さんの一日に、神からの守りと祝福が豊かにありますように。お祈りします。
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