19/04/2025

2025.4.19(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書61章1~2節
主が私を遣わされた。
主の恵みの年と
私たちの神の報復の日とを告げるために。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書23章43節
するとイエスは、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
四旬節最終日を迎えました。ご受難のあとに墓に収められたイエスの姿はもはや、見える形で私たちの前に現れることはないと誰もが思いました。イエスはご自身の復活を予告しておられましたが、イエスの死という現実を前に、ショックのあまりそんな予告などどこかに忘れされられてしまったかのような「闇」がありました。空虚がありました。信仰の先達たちは、その状況を「黒」という色で表現しました。暗黒に満ちあふれた虚無の世界。今日のことを「黒の土曜日」といつしか呼ばれるようになったのは、こういうイメージからなのでしょう。
 
しかし、それは神が与えてくださる良いもの。つまり「恵み」への序章に過ぎなかったのです。暗闇のなか、すべてが混とんとした状況のなかで、神が「光あれ」と叫ばれることで、創造のみ業が開始されたように、ここから新しい物語が始まるその前段にあるものは、何もない、ただ闇がすべてを覆うだけの状況でした。しかし、それは夢も希望もない姿では決してなかったのです。
 
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句。そのうち新約聖書のことばは、ゴルゴダの丘で十字架刑にされてただ死を待つのみのイエスとふたりの犯罪人のあいだで語られた言葉の一節です。もはや希望を見いだすことのできない犯罪人に対して、イエスが言われたのは神が与えてくださるパラダイスの希望についてでした。死が死のままで終わらない。むしろここから神が復活への物語を私たちに与えてくださるのだと。それを、私たち人間が強制終了させてしまってはならないのです。夢もない、希望もないということを流布するのは、これから何かを始めようとされる神の御心を踏みにじってしまうことなのだと、私は自戒を込めてあらためて思わされたのでした。
 
どうして神である主ヤハウェは、救いの主を私たちに遣わされたのでしょうか。イエスの時代から遠く昔、預言者を通して語られたのが今日の旧約聖書の言葉です。恵みの年を伝えるためです。死という恐怖にがんじがらめにされた私たちに対して、死に対する報復を神は行うために、救い主イエスを私たちに遣わされました。明日はいよいよ復活祭がやってきます。曙とともにいのちの希望が再来する。そんな望みを胸にしつつ、今日の一日を過ごすことができますように。皆さんのためにも、私のためにも祈りたいと思います。

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