09/07/2025

2025.7.9(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
エレミヤ書31章28節
かつて、引き抜き、壊し、破壊し、滅ぼし、災いをもたらすために彼らを見張っていたが、同じように、建て、植えるために彼らを見張る――主の仰せ。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
テトスへの手紙2章11~12節
救いをもたらす神の恵みはすべての人に現されました。その恵みは、私たちが不敬虔とこの世の欲とを捨てて、今の時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生きるように教えます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
今日も暑い一日となりました。今日は早朝から所用があったため、黙想をつづるのがこの時間帯になってしまいました。今は午前11時をまわったところです。これから気温がさらに上がると思いますが、どうぞ健康が守られますように。お祈りいたします。
 
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句ですが、これらの聖句を通して私が受け止めたいと思ったのは「神は私たちに再生の道を提供し、その道を私たちが歩むことができるように見守り続けてくださる」というものです。そのことについて黙想したいと思います。
 
今日の旧約聖書の言葉であるエレミヤ書31章は、バビロニア帝国によって荒廃を味わったイスラエルの民に、神が再生の約束をされるその言葉が収められています。荒れ果てたものが荒れ果てたままにはしておかれない。神は必ず荒廃から再生への道を備えてくださる、この象徴的な出来事が、預言者エレミヤの時代に起きました。
 
荒れ果てた地に人間の種と動物の種を蒔くと神は言われました。命の種こそ芽生えへの第一歩であり、私たちの命の与え主である神が、その命の尊さと喜びを原点から私たち一人ひとりに気付かせてくださるというのです。この気づきこそが、現代に生きる私たちにとっても、生きる道というものを模索するために無くてはならない大切なことであるということを、私たちはこの聖書の言葉から黙想したいのです。
 
私は神がいなくても生きていくことができるという人間の歴史のなかで、ある程度私たちの幸福は寄与できたとしても、誰かが必ず犠牲をともなうという負の遺産というものも決して忘れてはならないのだと思うのです。私たち人間が味わうべき幸福とは、自分ばかり幸せになってその影に割を食う人たちがあっては決してならないのだということです。誰もが幸福を味わうべきなのです。しかし、この世界がそのことを許さないのです。
 
だからこそ、私たちは神が備えてくださる再生と幸福の道を虚心坦懐の思いを抱いて、心から受け入れる者でありたい。そしてその道を闊歩したいと思わされたのでした。私たち人間だけでは成し得ないことをなしてくださる神の助けに感謝しつつ。
 
今日の残りの時にも、主がともなってくださいますように。皆さんのために、私自身のためにもお祈りいたします。

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