07/06/2025

2025.6.7(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
歴代誌下20章6節
主よ。あなたの御手には勢いと力があり、あなたに立ちはだかる者は誰もいません。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書4章29~30節
彼らはイエスをナザレの町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。いよいよ明日は、聖霊が私たちのもとに降られたことを祝うペンテコステの祭りを迎えます。聖霊が私たちの命を活かし、教会や集会、神を主とあがめる信仰共同体を祝福してくださる源となることを今一度思いにとめながら、今日のローズンゲンに示された御言葉に耳と心を高向けてまいりたいと思います。
 
今日与えられた二つの聖句を通して私が受け止めたいと思ったのは「神はいかなる抗力をも乗り越えさせる力をお持ちである」ということでした。究極的に、神は善悪の関わりなしにすべての者を治められる力をお持ちであるのは間違いないことですが、そのもとに命を与えられて、日々の生活を営む私たちは、つねに神を神とすることへの抵抗力に向き合いながら生きている存在であると言えるでしょう。自分自身の内にある問題、他者との関わりのなかで起きてくる問題、世のなかのことなど、どれをとっても、私たちは神を自分の神として生きていくことを難しくさせる状況というものは存在するのだと思えてならないのです。
 
これはいつの時代でもそうでした。いわゆる信仰者の列伝として聖書に収められているような人物でも、すべてが順風満帆に物事が進み、万事うまくいったかと言えば、そんなことはまったく無いのであって、多かれ少なかれ、私たちはいろいろな問題にぶつかり、それにさらされながら日々を歩まなければならないのです。そんななかで、神とともに歩みたいという切なる願いがあれば、神は必ず大切なことを私たちに気付かせてくださることによって、その問題を神に乗り越えさせていただくための知恵と力というものが実際的に与えられるのだと私は確信しています。
 
イエスが故郷ナザレで宣教をしていた時に、イエスの言動に反感を覚えた町の人々がイエスを崖から突き落とそうとしたことがありました。イエスを知る者たちの固定観念が、イエスの姿を通して浮かび上がる神の本質というものを見えなくさせてしまっていたのです。だから、イエスを無き者としようとする力がこの場にあふれたのでした。しかし、イエスは知っていました。神がこの状況を問題なく乗り越えさせてくださるということをです。ですから、イエスはそれらの反感や憎悪というものを自分の身に受けることはありませんでした。
 
どんなに大切なことを阻む力が働いたとしても、神の力はすべてを平和へと導かれる。このことを胸にしつつ、今日の一日を過ごすことができますように。皆さんの主にある平安を心からお祈りします。

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