くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編125編2節
エルサレムを山々が囲み
主はその民を囲んでおられる。
今より、とこしえに。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書17章15節
私がお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。今週もなかばを迎えました。そして、聖霊降臨の出来事を祝うペンテコステまであと2日となりました。ペンテコステ礼拝への備えをしている教会も多いことかと思います。どうぞ良き備えの時となりますように。一切に神からの祝福をお祈りします。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するテーマは「神である主の守り」であると私は受け止めました。そのことについて綴ってみたいと思います。
日々の聖句の原版である「Die Losungen(ローズンゲン)」を発行している「ヘルンフート兄弟団(Herrnhuter Brueder Gemeinde)」は、ドイツ東部のヘルンフート(Herrnhut)という村にあります。実はこのヘルンフートという村の名前には「主の守り」という意味があります。フートは英語でいうハット(hat)であり、頭を守る大切な役割があります。神である主が私たちのことを守ってくださる。多くの迫害から逃れた信仰者たちが、ツィンツェンドルフ伯爵が所有するこの土地に新天地を求めたのでした。
神とともに歩もうとする思いを阻み、それをさせまいとする力は、古今東西変わりなくあるものです。それは悪魔サタンが神によってやがて滅ぼされるその時まで、私たち人間の世界に入り込んで、神から引き離そうとする力を存分に働かせるのです。
しかし、私たちは決してなされるがままではありません。悪魔が神を上回って抗しがたい勢力が発揮することはありません。なぜなら、悪魔も神の被造物のひとりに過ぎないからです。神は悪魔を最終的に滅ぼす力をお持ちなのです。今は悪魔の反抗と挑戦に対して、その挑戦が実現不可能であることを完膚なきまで痛感させようとする時に過ぎないのです。
神は忍耐をもって悪魔にその機会を許しつつ、その悪意に満ちた挑戦によって危険にさらされ、悪魔に翻弄されている私たちを必死に守ろうと働いておられるのです。そのためにある時にはそびえたつ山となって私たちをしっかりと神の御手のなかで守ってくださり、時には救い主イエスが私たちのために祈ってくださった。そして今でも、イエスは私たちのためにともに祈りをあわせてくださるのです。これが「主の守り」そのものなのです。
私たちはそのことを深く認識し、神が守ってくださることを自分自身の柱とできるように、神がご自分の言葉を聖書を通して授けてくださいました。そして、聖書の言葉を神の言葉として理解できるように、悪霊の力をも封じ込む聖霊の助けを余すところなく注いでくださるのです。折しも今日の新約聖書の言葉は神へのイエスによる祈りの一節ですが、その前に使徒たちに語られたメッセージには、私たちを守るための聖霊の働きについて話されたばかりでした。そこからイエスの祈りへとストーリーが進められているのは、とても興味深いことと言えるでしょう。
神である主は、今日も私たちのことをしっかりと守ってくださいます。私たちに求められるのは、神の私たちに対する信頼に心から答え応じることでしょう。神の信頼に応えることによる幸いが、今日も私たち一人ひとりとともにありますように。主の守りを心よりお祈りします。
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