くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編34編20節
正しき者に災いは多いが
主はそのすべてから助け出してくださる。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マルコによる福音書13章11節
あなたがたが連れて行かれ、引き渡されたとき、何を言おうかと心配してはならない。その時には、あなたがたに示されることを話せばよい。話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。昨日は聖霊降臨を記念するペンテコステの礼拝を、世界中の教会や集会で祝うことができました。聖霊降臨とは私たちにとって何を意味するのだろうか。そんなことに思いを寄せることができたのではないでしょうか。
誤解を恐れず申し上げれば、クリスマスやイースターの有名さに隠れて、ペンテコステがある「ようにも」見えるかもしれません。しかし、現実の世の中で生きる私たちにとって、実はペンテコステこそがクリスマスやイースターに引けを取らぬ、いや実は一番重要なのではないかと言っても過言ではないのではないかとも思わされます。ペンテコステには、父なる神も、子なるキリストも、クリスマスもイースターも、そのすべての「結晶体」なのだと私は受け止めています。聖霊のお働きなしに、私たちは何も知ることができないのだと。だからこそ、ペンテコステの祭りはやはり重要なのだと思わされるのです。
今日の聖書の言葉です。私は今日の旧約聖書の言葉である詩編の一節に触れて「正直者は馬鹿を見る」という言葉が思い浮かびました。正直者というか、神の愛や誠実さに触れて、私もその誠実さをもって生きようと自分の思いをさらけ出す人ほど、順風満帆どころか逆風の嵐に翻弄されるのだと。これが「正しい人は災いは多い」の意味なのだと私は受け止めました。神の御心に生き、神を神として生きるということは、自分自身を神とする力によって災いに遭うのです。
しかし、やられっ放しではありません。神が守ってくださると続いてこの詩編は歌っています。この作者はイスラエル王ダビデですが、ダビデ自身も民の指導者として生きる時に、神の御心に生きようとすればするほど、その抵抗力に苦しんだことは聖書に書かれている通りです。しかし、そんな時にこそ神が私を守ってくださるという経験と実感があったことも確かでしょう。だからこそ、ダビデはこのような詩を歌うことができたのだと思うのです。
この守りこそ、「弁護者」という名のついた聖霊の働きに他なりません。父なる神と子なるキリストが私たちを守るために遣わしてくださった聖霊は、あくまで神の御心に聴き、そのことに応答して生きようとする私たちの心に豊かに臨んでくださるのです。御自身の愛と平和をもって私たちを守るときに、それが表面的には災いに見えたとしても、内側からあふれてくる平安が私たちを支配してくださる。ここにこそ、聖霊降臨の幸いがあるのだとあらためて受け止めたいと思いました。
どうか今日の一日もまた、聖霊の導きが皆さんの生活を内側から豊かにさせてくださいますように。お祈りします。
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