くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編145編9節
主はすべてのものに恵み深く
その憐れみは造られたものすべての上に及ぶ。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙8章21節
被造物自身も滅びへの隷属から解放されて、神の子どもたちの栄光の自由に入ります。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
昨日はそれぞれの場で主の日の礼拝を楽しむことができたのではないかと思います。新しい一週間を生きるために神から押し出されて、今日からウィークデイの日々が始まります。皆さんの平日に、神が豊かに臨んでくださいますように。そんな願いとともに、今日の御言葉に耳と心を傾けてまいりたいと思います。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、「つくられた者」としての人間の姿というものを思わされます。皆さんもご存知のように、聖書にはすべてのものは神によって創造されたことが記されています。進化論が生物起源の主流とされているなかで、神がすべてをつくられたという考え方は科学的にどうなのだという議論もしばしば起きています。しかし、科学的に正しいか間違いかということを問う以前に、「神によって私たちはつくられた」という意識は、私たち人間をかたちづくるうえで、絶対に欠かせないことなのだと私は考えていますし、そういう考えが一人でも多くの方々と共有できれば、この世界は平和になるのだと信じたいのです。
神が人間に対して願っておられることは、有無も言わせず束縛され、何者かによって隷属されて生きることではありません。人間が神に従うことも隷属や束縛なのではないかという意見もあるでしょう。しかし、私はもしそのことが世の中でそのように感じるとするならば、それは神をゆがんだ支配のために利用・悪用する人間によってつくりあげたシステムなのだと思っています。本来神は人間に対して、互いに妨げ合わない関係性のなかで、神からいただいた自由というものを、世界のなかで喜び合えることを心から望んでおられるのだと信じたい。今日の聖書の言葉は、そのことを私たちに伝えようとしているのです。
そのようなコンセプトをもって、私たちが神によって「つくられた」という意識を抱くことの大切さは、そういうところから起きるものなのだとしっかりと受け止めながら、このウィークデイの日々を歩みたいのです。互いに神の慈しみと憐れみに生かされていることを喜び合うことができますようにと祈ります。
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