01/06/2025

2025.6.1(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
サムエル記上1章11節
ハンナは言った。「万軍の主よ、どうかあなたの仕え女の苦しみを御覧ください。この仕え女を心に留めてお忘れにならず、男の子を賜りますならば、その子を一生主にお献げします。」

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書1章57~58節
月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主が彼女を大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さんおはようございます。救い主イエスの復活を祝うイースターから数えて43日目を迎えました。そして、イースターから数えて7回目の日曜日を迎えました。いよいよ来週日曜は、聖霊降臨を祝う「ペンテコステ」の祭りを迎えます。イエスが天に昇られた代わりに、私たちの日々を見守り導かれる聖霊を想う備えの時として、今日からの一週間を過ごしてまいりたいと思います。
 
5月は半分くらいしかローズンゲン黙想をお届けすることができませんでした。楽しみにしてくださっている皆さまへは、本当に申し訳ありませんでした。私自身、自分のライフスタイルを整えなければならないと感じることがあり、ここ数日間、そのための整理をしておりました。今日から始まる6月より、新しいルーティーンで毎日を過ごしていきたいと思いますが、ローズンゲン黙想はその基礎となればと私自身願っておりますので、引き続きのお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
 
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するのは、長く子が与えられなかった女性の話です。のちにイスラエルの指導者として立てられたサムエルの母ハンナと、イエスに洗礼を授けることとなる洗礼者ヨハネの母エリザベトです。このふたりの女性に共通するのは、長く子が与えられることを望んでいたのにもかかわらず、それが叶わなかった人生を歩んできたということです。神の御前に誠実に生きているのに、どうして私に喜びを与えてくださらないのか。これは、私たちならば誰でも大なり小なり経験することであるかもしれません。
 
神は私たちの願いを無視される御方なのでしょうか。神はなんでもかんでも私たちの要求をそのままに叶えられるような方ではありません。神にとってその人の幸せとはなにかをすべてご存知なうえで、ベストのタイミングをもってその人に必要なことを与えてくださるというのが、聖書が物語る人への扱われ方なのです。ですから、このふたりの女性に子が与えられるというのも、神がそれがふさわしいことと思われたら、最も良いときにそのことを叶える力と知恵というものをお持ちなのでしょう。
 
ハンナはもし子が与えられるならば、その子を神にささげることを誓いました。その結果男の子が与えられて、その子は何かに無理やり強制させられることなく神の導きによって、神の民イスラエルの指導者としての人生を送ることになりました。そうすることで、神はご自分のこの地に対する意志というものを表されました。それは、洗礼者ヨハネとて同様です。非常に不思議な神の力が、すでに老女となっていたエリサベトに働かれました。そして、救い主イエスの先駆者としての人生というものを歩む役割が、その子である洗礼者ヨハネに与えられたのでした。
 
神の目的にかなったものであれば、その願いは必ず果たされることになる。そのことに私たち一人ひとりの生き方というものを問いながら、整えながら新しい日々を歩んで行きたい。そう願わされました。今日の一日もまた、新しい一週間の始まりとしてその良いスタートを切ることができますようにと祈りつつ、礼拝をはじめとするその時を過ごしてまいりたいと思います。皆さんの新しい一週間に、神の導きと平安がともに豊かにありますように。お祈りします。

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